このサイトのレッスンは画面に手を描き、次のキーを押すべき指を光らせます。つまり「標準運指は不可欠です」と言えたほうが、私たちには都合がいい。しかし測定された事実はもっと不都合で、そちらをお渡ししたいと思います。日常のタイピングを扱った最良の現代研究は、「間違った」指で独学した人が、正式に訓練された人と同じ速さで打つことを見出しました。上手いタイピストと下手なタイピストを分けるものは実在します。ただしそれは、タイピング講座がふつう主張するものではありません。
まず、不都合な研究から
2016年、研究者は成人30人――正式なタッチタイピング訓練を受けた人と自己流の人――の手にモーションキャプチャを付け、どのキーをどの指が打ったかを正確に記録しました。自己流のタイピストは少ない指を、どの教科書も認めないような独自の配置で使っていました。それでも速度は訓練された群と並びました1。使う指の本数は、速さを予測しなかったのです。
この研究で速さを予測したものは2つありました。同じキーをいつも同じ指で打つこと――標準的でなくてもよいので、一貫した対応づけがあること。そして、キーボードではなくテキストに目を置いておくこと。速い自己流タイピストは、この2つをいつのまにか自力で組み上げていました。遅いタイピストは、訓練歴の有無にかかわらず、どちらも持っていませんでした。
タイピストを作るのは10本の指ではない。毎回同じ指で、見ないで打つことだ。
熟練は、内側から見るとこうなっている
なぜ「テキストから目を離さないこと」がそれほど効くのか。熟練タイピングの中身がそうできているからです。転写タイピングの古典的レビューによれば、熟練者はキーを速く押しているというより、指よりも先を読み、複数の打鍵を重ねて準備しています。そして先読みできる範囲を実験的に制限すると、熟練者の速度は初心者並みまで崩れ落ちます2。技術は目と手のあいだの距離に宿っている。キーを探すために手元を見る子どもは、その距離をゼロにしてしまっています。
熟練したタイピングは、やっている本人にとっても奇妙に不透明です。熟練タイピストの実験は、この技術が入れ子の2つのループ――単語で考える外側と、指を動かす内側――として走っており、互いの中身をほとんど知らないことを示しています。熟練者に自分の指へ注意を向けさせると、タイピングは確実に乱れます3。
どれほど不透明か。熟練タイピストに空白のQWERTY図へ文字を配置させると、正しく置けるのは半分程度です。毎日、速く正確に打っているにもかかわらず4。知識は指の中にあり、本人が暗唱できる形では存在しません。それが自動化ということであり、タイピング練習の本当の到達点です。
では、なぜ標準運指を教えるのか
最初の研究の発見に逆らってではなく、その発見ゆえに、です。速さを予測した2つのもの――一貫した対応づけと、キーボードを見ないこと――は、標準運指が初日から子どもに手渡すものそのものです。速い自己流タイピストは、自分だけの一貫したシステムに何年もかけて偶然たどり着かなければなりませんでした。そして、たどり着けるのは一部の人だけです。あの研究の遅いタイピストとは、ひとつの対応づけに収束できなかった人たちでした。指ガイドは正統の押しつけではありません。最初に配られる「動作確認済みの対応表」であり、一貫性を運任せにしないための道具です。逆方向にも率直に言っておきます。お子さんがすでに、自分の安定したシステムで、手元を見ずに速く打てているなら、それを壊して作り直す理由を研究は与えていません。
指の代わりに、何を見るべきか
- 手ではなく目を見る。テキストから目を離さないことはデータ上最強の習慣で、キー探し打ちが唯一生き残れない場所でもあります。
- 型どおりかではなく、一貫しているかを褒める。毎回同じキーを同じ指で――それがメカニズムで、標準の対応表は出来のいい初期値にすぎません。
- 文の途中で運指を直さない。指への注意こそが熟練した動作を乱すものです。指摘はレッスンの合間に。
- 技術が「消える」ことを予期する。キーの場所を言えなくなったのに打ててしまう子は、忘れたのではなく、自動化したのです。
- 自己流でも、速くて、安定していて、目が上がっているなら、そのままに。証拠は教科書ではなく、その子の側にあります。
私たちの指ガイドが光るのは、初心者にはまだ対応づけがひとつも無く、誰かが最初の案を差し出す必要があるからです。目標は10本の指それ自体だったことは一度もありません。指について考えることをやめた子ども――科学が言えるかぎり、タイピングの技術とはそれのことです。